フルリモートが急にしんどくなった
フルリモートの会社に1年半ほど務めている。
今の会社はフルリモートの中でも究極だと思う。朝会が毎日5~10分あるだけで、それ以外は一切会議がない。全てテキストコミュニケーション。リモートワークと仕事の効率に関する話がよく出てくるが、少なくとも今の会社においてはこのスタイルは一番効率的だと考えている。
フルリモートを始めてから最初の1年ほどはフルリモート最強という気持ちでいっぱいだったし、これを今後もずっと続けていくのだと考えていた。ただ、ここ1,2ヶ月ほどで急にフルリモートがしんどくなってしまった。仕事においてはしんどさは特に感じていない。感じているのは個人の生き方としての部分。
元からフルリモートワークに対する違和感のような物があった。ありきたりだが、社会性が失われていく感覚が強かった。自分はよくこの違和感を人に伝えるときに、「老後」という表現を使っている。決して老後にネガティブな意味を持たせているわけではない。30代に似合わない時間の使い方をしているという意味で老後という言葉を選んでいる。
リモートワークでかつ裁量労働だと好きな時間に仕事ができるし、好きな時間に休憩することも出来る。横になることもよくある。ストレスがなく、すごく自由で、それはとても魅力的なことなのだが、家で一人で仕事をしたり横になったりを繰り返していると、だんだん仕事が仕事に感じられなくなる。もちろん仕事はちゃんとしているし、成果も出しているのだが、メリハリがないというか、ずっと休日を過ごしている気持ちになる。
「ずっと休日」の字面だけ見るとそれは良いことのように見えるかもしれないが、なんとも言えないしんどさがある。休みの日と普段の日の違いが薄くなり、日々の濃淡がだんだん薄くなってくる。よく聞く「会社と家を往復するだけの毎日」みたいな愚痴、あれの範囲が極端に狭くなった状態になる。
自分の活動範囲がどんどん小さくなっていくのも感じる。全ての用事が家から出発しなければならないことが原因として大きいと思う。「ちょっと気になる場所やイベントがあるけど、家から行くほどのものでもない」ようなものがいくつかある。そういうものは家にいると億劫になって諦めてしまう。これが通勤をしていると「帰りに寄ってみよう」ができる。昔はいろいろなものに顔を出すタイプの人だったが、最近はずっと家にいる気がする。ずっと家にいると不思議なもので、何か新しいことを始める気持ちもだんだん減ってくる。
今でもボルダリングは定期的に行っているし、土日は基本出かけているため、外出自体はしている。また、同棲をしているので日常的に会話はできている。しかし、ずっと家にいると「今日こんな事があったよ」みたいな出来事が特にない。事件がない。日常が全て自分の意思で起こしたものだけになり、外乱のような偶発的事象がない。これは自由とも平穏とも気楽とも呼べるが、自分からしたら退屈になってしまった。
最近子どもがほしいのかも?などと考えていたが、よくよく考えると自分は外乱がほしいだけのような気がしてきた。子育ての大変さは知人の話から強く感じている。生半可に手を出してはいけない気持ちがある。
従来の仕事や職場というものは、こういう外乱の固まりで、無意識のうちにそれらを享受していたんだなと感じる。
もちろんフルリモートを悪者にしたいわけではない。今の環境が特殊すぎるのかもしれない。もしかしたら雑談タイム的なものを組織が用意したら解決するのかもしれない。ただ、フルリモートでない環境に移るのが手っ取り早いというところが実際にある。
一年前はフルリモート最強という考え方を持っていたので、時間とともに自分の考え方が大きく変わってしまったことを実感している。こういうふうにブログに残しているのは今の考えのスナップショットを残し、将来どんな考え方に変わっているのか再確認できたら良いなという思惑がある。
ちなみに、縁もあり、7月から新しい会社で働く。今度はハイブリッドの環境。今度はどんな考え方になるのか自分でも気になる。もしかしたら「やっぱりフルリモート最強」と言っているかもしれない